Experiments of Actin

『インディーズ候補』(泡沫候補)の特徴的な選挙活動を中心に少し変わった選挙、政治関係の話題を取り上げているブログです。

桂秀光の選挙公報(2015年茅ヶ崎市長選)

(この記事は同人誌『補導聯盟通信 2015年夏号』に掲載した文章を再編集したものです)

今回紹介するのは2015年4月26日に行われた神奈川県の茅ヶ崎市長選に立候補した桂秀光です。この人物は2003年の茅ヶ崎市長選と衆議院選 神奈川11区、2007年神奈川県の清川村長選と茅ヶ崎市長選、2009年の清川村議会選に立候補した神奈川のローカルながらも経験豊富な候補です。2007年の茅ヶ崎市長選では「茅ヶ崎市政からドラエモンを追い出す市民の会」なる団体の推薦で立候補し、そのすさまじい団体名から色々と話題になりました(このドラエモンとは当時の市長のことを指していたようです)。また、元教員で農学博士の学位を持ち、海外の大学で講師をしているという意外な一面もあります。今回、久しぶりの選挙(ちなみに2011年の茅ヶ崎市長選に立候補を予定していたものの、本人曰く暴行事件の被害者になり、立候補できなかったそうです)*1選挙公報を下に示します。

f:id:actin:20171009214553p:plain

まず、「亀井土建」という具体的な実名を挙げ、無駄な公共事業で土建屋に奉仕する現市政を選ぶか、医科大学と鉄道網整備をする自分を選ぶかという選択を掲げています。また、この医科大設立に関する文章で「藪医者ばかりの茅ヶ崎市立病院」と強烈な文章を記しています。

さらには2014年10月に姉妹都市協定締結のため、茅ヶ崎市長と副市長がハワイに行き、副市長が死亡しましたが、当初詳しい死因が明らかにされておらず、その後、サーフィン中の事故死という説明がなされ、色々と疑惑を呼んだ事件がありましたが、この件についても言及しています。ここでは「殺人事件?!」という文を使い、事故ではなく、殺人の可能性を指摘しています。また、万が一の災害等を想定せず、市長と副市長が同時にハワイに行き、茅ヶ崎市の責任者が不在になっていたことも批判しています。

この他、鉄道計画についてや自身の経歴、ウェブサイト、連絡先を示しています。ウェブサイトについては、内容が多いため、詳しい説明は割愛しますが、現市長への批判や藪医者ばかりと名指しした茅ヶ崎市立病院での体験から市立医科大学の設立を決意したこと、過去の選挙で妨害を受けたこと等が色々と書かれています。

また、rukaruruさんのサイト、広報用掲示板に今回のポスターが紹介されていますので、リンクを下に示します。

rukaruru.hatenablog.com

今回の茅ヶ崎市長選は自民、民主、公明の推薦を受けた現職の服部信明と自民党職員、議員秘書民主党推薦で国政選挙や県議選に立候補した経歴を持ち、今回の選挙では一部市議の支援を受けた対抗馬的新人の鈴木たけし、そしてこの桂秀光という三つ巴の戦いになりましたが、服部信明 44,473票、鈴木たけし 31,053票、桂秀光 10,028票(無効票3,628票)という結果となり*2、ビリで落選はしたものの、供託金ラインは十分超えた上に1万票以上を獲得する大健闘を示しました。なお、2016年末に発行された桂秀光の論文によると、インドの大学に所属しているようですが(現在の状態は不明)、再び、茅ヶ崎方面の選挙に出るのか、動向が注目されるところです。

タカシマ努の選挙公報(2015年結城市議会選)

(この記事は同人誌『補導聯盟通信 2015年夏号』に掲載した文章を再編集したものです)

今回は2015年4月24日行われた茨城県結城市議会選に立候補したタカシマ努を紹介します。この人物は今回が初挑戦ではなく、2011年の茨城県の八千代町議会選に立候補し、わずか15票で最下位(ブービーは283票)という結果に終わっています。また、2013年の茨城県知事選にも立候補を表明しましたが、この時は何か事情があったのか、立候補を回避しています。

f:id:actin:20171009002434p:plain

上に示した選挙公報を見てみましょう。一目見た時点で只者ではない雰囲気が漂っていて、4つの名刺のようなものが目立ちます。この4つの名刺のようなものの内、左上と右下は同じもので、さらには自分自身のものではなく、「二宮金次(治)郎 報徳会 主幹 二宮尊夫」なる人物の名刺となっています。この二宮尊夫という人物を調べたところ、以前、二宮金次郎の像を県内の学校に設置することを公約とし、茨城県知事選に立候補しようとしたものの結局、健康問題を理由に回避した人物であるとのことでした。なぜ、このような人物の名刺をこの選挙公報に掲載しているのか、答えは右上の名刺にありました。 この右上のタカシマ努自身の名刺には二宮尊徳 奉賛会 理事」なる肩書きがあります。そしてこの下には「二宮金次(治)郎 玄孫 二宮尊夫 【特認秘書】」と書いてあり 、どうも二宮尊夫の秘書をやっていることがわかります(ただ、秘書をやっていたとしても、二宮尊夫の名刺を2枚も掲載したのは本当に謎ですが)。

そして、この下には自身の名前が記載されていますが、ここには「三代目 喜四郎」「高嶋 勇喜《きしろう》」という文字が記載されており、「勇喜」という名前がどこから出てきたのか、そして、なぜこの文字の読みが「きしろう」なのかという、謎が生じます。 ここで左下の名刺に移ると「三代目 喜四郎」の意味が見えてきます。ここには「先代喜四郎天命御恩返」「公認 岩井自動車学校 非常勤待遇」という文字列が見えますが、この「岩井自動車学校」の経営者は元自民党でゼネコン汚職実刑判決を食らいつつも、衆議院議員当選13回、選挙に極めて強いなど、とかく個性あふれる政治家である中村喜四郎が経営している自動車教習所です。ちなみに、この中村喜四郎は出生時の名前は喜四郎ではなく、政治家であった父の中村喜四郎が死んだ際に父と同じ名前の喜四郎に改名しており、二代目 中村喜四郎となっています。これらのことを考えると、どうもタカシマ努が次の中村喜四郎を僭称しているのではないかということが強く示唆されます。王位僭称というのはまれに聞くことがありますが、中村喜四郎の僭称と言うのは非常に珍しいケースと言えます(ただ、中村喜四郎は中世ヨーロッパ的感覚で言えば、あの地域の伯爵とか侯爵的な存在的な感じもするので、伯爵号を僭称すると書くとそんなに違和感はないかもしれませんが)。

この余りにも衝撃的な三代目喜四郎僭称宣言の下には「恩田武久前総務部長より実家<結城市>待機令中!!」という、一体、何があって自宅待機を命令されたのか、興味を掻き立てるような地味に素敵な文章が書いてあります。また、この左下の名刺のようなものは他のと比較して情報が多く、「元自民党県連相談役県議元秘書」という結構面白い経歴や自民党党員であることなどが記載されています。 最後に一番下には名刺でない公約が手書きで書いてあり、ここには「江川南と江川北と上山川と絹川の市民のために」(いずれも結城市の地名)と具体的な政策は記載せずに、各地域のために何かすることを述べています。

このように二宮尊夫という別の人物の名刺にかなりのスペースを割き、さらには中村喜四郎の後継者を僭称しましたが、得票数はわずか25票(総有効投票数23,117票、無効票245票)で21人中21位(定数18)で、しかもブービー候補の得票数が287票という圧倒的な敗北、三代目喜四郎の座は難しい結果に終わってしまいました。

海老根篤と海老根まさ子の選挙公報(2015年みどり市議会選、群馬県議会選 桐生市選挙区)

(この記事は同人誌『補導聯盟通信 2015年夏号』に掲載した文章を再編集したものです)

今回は面白い関係にある二人の候補者を紹介します。

まず、2015年4月26日に投開票が行われた群馬県みどり市議会選に立候補した海老根篤を紹介します。この候補は今回が初選挙ではなく、2011年の桐生市長選や群馬県知事選への立候補、また、それ以前の選挙での立候補が確認されています。2011年の桐生市長選では現職のみの立候補で無投票になると思いきや、立候補締め切り40分前に届出をしたという話もあります。

f:id:actin:20171003222909p:plain

今回の選挙公報を上に示しましたが、なぜか自分の顔写真を隠した状態の免許証が掲載されており、これは只者ではない感を読む人に与えます(なお、この免許証をよく見ると自動二輪や大型二種を持っていることが分かります)。また、この免許証の上に「あの花のように」というタイトルの詩らしきものが掲載されており、作者は海老根篤ではなくエビネ真咲子」と書いてあります。そして、「命の公約!」として「この右の詩のように私も正当選挙で勝利の暁には日本一の市議になります!!」と決意を示しています。この他には左の方におそらく過去の選挙の選挙公報を切り取って貼り付けたと思われる政策の文章が掲載されていました。

このような、なかなかすごい選挙公報を掲載しましたが、得票数245票(総有効投票数 19,398票、無効票288票)となり、21人中20位という結果となりました。ブービーという結果に終わりましたが、このみどり市議会選の定数は20であったため、なんと海老根篤は当選してしまったのです。最下位の候補者の得票数は183票であったものの、選挙公報は比較的まともなものであったため、これは驚くべき結果でした。

さて、海老根篤の議員としての活動ですが、議会では様々な発言を積極的に行っていたものの、言動などが問題視され、何度も懲罰委員会にかけられ、戒告、陳謝、出席停止という様々な懲罰を受け、議員辞職勧告決議案まで可決されるありさまでした*1。そして、ついに当選から約1年半後の2016年9月26日の議会において、今まで事実に基づかない発言を行ったこと、『市長が不規則発言をしたが、記録していたテープから消され、議事録から抹消された』旨の虚偽の発言を行ったこと、以前より品位を書く発言を重ねたこと、懲罰の陳謝に真面目に応じなかったことしたこと、市長が大学院の通学に公用車を使っているのではないかと議会で発言をしたものの、この根拠が風聞に基づいてると議会内で指摘されたことなどを問題視され、議会を除名されるという事件にまで発展しました。

kiryutimes.co.jp

しかし、海老根篤はそのまま引き下がらず、県知事に除名処分取り消しを要求しました。そして、2017年3月に「言動と懲罰の均衡という点から社会通念上著しく妥当性を欠き、議会の裁量権の範囲を超えまたは乱用したものであり、違法というべき」という結論が出て、除名は取り消しという、さらに驚くべき結果になったのです。

kiryutimes.co.jp

これに対し、地元紙の桐生タイムスは海老根篤をトランプ大統領になぞらえる論説文を掲載するなど、地域では大きな話題になりました。

kiryutimes.co.jp


次に紹介するのは2015年4月12日に投開票が行われた群馬県議会選 桐生市選挙区に立候補した海老根まさ子です。この「海老根まさ子」という名前ですが、前述した海老根篤の選挙公報に出てきた詩らしきものの作者と同一氏名です。

また、地元紙によると立候補届出日の午後3時(締切2時間前)の時点で定数3に対して、3人の候補者がいたものの、海老根まさ子が無投票を阻止するために立候補届を行ったことが記されており、届出をした人物として海老根氏の元夫で養子の男性(67)という人物が挙げられています。この人物の年齢に注目してみると、立候補届出時の海老根篤の年齢と同一です*2。そして、下に示した選挙公報を見てみると、インディーズ候補にしばしば見られる手書きでびっしり詰め込んだ選挙公報の後ろの方に「御存じのとおり、私は五年前の桐生市議会議員 新里選挙区補欠選挙桐生市長選挙に立候補した者です。桐生市長選挙では「海老根 篤」の黒子でした」と書かれていました(なお、前述したように前回の桐生市長選に立候補したのは海老根篤です)。このようなことから、海老根まさ子と海老根篤との関係はどうも元夫婦で養子関係のようです。個人的には、どうして離婚した後に養子関係になったのか、色々と謎な関係に思えます。

f:id:actin:20171003223835j:plain

それでは、海老根まさ子の選挙公報をよく見てみましょう。前半の部分では群馬県知事に対して、当初の公約を破棄して多選したことやスキャンダルについて批判を行い、さらには桐生市選出の県議会議員が県知事の支持者であることや無投票多選状態であることも批判しています。前述したように今回の選挙は無投票の阻止を目的に立候補締切の2時間前に届出を行いましたが、この選挙公報でも「究極の不正選挙である無投票選挙」「これほどの状況下でも本当に誰も出ないので、もしそうならば自分が出るしかない」と述べています。そして、海老根篤と同様に「日本一の県議になることを確約致します」と述べています。

海老根まさ子の選挙結果ですが、得票数1,456票(総有効投票数34,576票、無効票943票)で4人中4位(定数3)となり、みどり市議会選に当選した元夫・現養子とは異なり落選してしまいました。

インディーズ候補が本当に当選してしまった事例は極めて少ないものの、その1例となったことで名を轟かせた海老根篤ですが、述べたように議会を除名されるという、予想外の事態に発展しました。しかし、この除名が取り消されるというさらに予想外の展開を見せています。今後、どのような活動をするのか、みどり市議会の議事録に注目したいところです。

(追記: 海老根篤の議会活動を紹介した同人誌を作りました。詳細は下記リンク先を参照してください)
actin.hatenablog.com

*1:みどり市議会の議事録では海老根篤の様々な発言を見ることができます

*2:上で示した海老根篤の選挙公報に記載されている免許証では、誕生日が4月13日となっているため、立候補届出時は67歳となります