読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Experiments of Actin

『インディーズ候補』(泡沫候補)の特徴的な選挙活動を中心に少し変わった選挙、政治関係の話題を取り上げているブログです。

辻政信の選挙公報(1958年衆議院選 石川1区)

選挙

今回、紹介する人物は現在の人物でもなく、また、インディーズ候補でもありませんが、この人物の写真付き選挙公報を最近入手し、知り合いの何人かに見せた所、インディーズ候補より食いつきが良かったので紹介します。この人物とは多少ミリタリー的なものが詳しい人は誰でも知っていると思われる辻政信です。

辻政信といえば、旧陸軍で参謀を務めた人物ですが、独断専行が多く、中央の命令を無視して、作戦を勝手に進めて、事を大きくしてしまったり等、色々としでかしており(とはいえ、関係した作戦ではうまくいった作戦もあり、報道陣に対する宣伝のうまさも相まって、「作戦の神様」と呼ばれていた時期もあったとか)、現代ではインパール作戦牟田口廉也と並び、しばしばネタにされる事が多い人物です。この辺りの詳しい話はgoogle等で検索すると色々と出てきますが、とりあえずwikipediaの記事リンクを貼っておきます。この辻政信ですが、終戦直後に戦犯になる事を恐れて、突如、行方をくらまし、ほとぼりがさめるまで中国や日本国内に潜伏し、安全が確認された後に自叙伝を出版、これが成功した後、政界に打って出るという事をしています。そして、無所属→日本民主党自由民主党→無所属という状態で、衆議院議員を約7年(当選4回)、参議院議員を6年(当選1回、ただし後述するように6年間完全に務める事はできませんでした)務めていました。

今回、紹介する選挙公報1958年5月22日に行われた衆議院選の石川1区の時のものです。この時、辻政信自由民主党所属で立候補しています。なお、辻政信にとって、今回の選挙は3回目の選挙であり、1回目、2回目の選挙は、共に石川1区から立候補して当選しています*1

辻政信の写真というと、右に示した写真*2が有名です。この選挙公報の写真を見てみると、辻政信の特徴である丸眼鏡をかけていますが、年齢を重ねたせいなのか、職業が軍人から議員に変わったせいなのか、有名な写真とは多少、異なる印象を与えている点もあります。「政財界の浄化」と軍人時代に綱紀粛正に腕を振るっただけあり、この手の言葉が何回も出ているのは興味深い所ですが、それ以上にこの政治家・辻政信の非常に面白い点として、旧軍とのネットワークも保持していただけではなく、潜伏時代に中国国民党にかなり世話になり、反共的な傾向が強かったはずの辻政信自民党内では容共的な石橋派に属していた事で*3、この選挙公報でもソ連のフルシチョフと国交回復の話をしたとか、中国共産党周恩来と会談したとか、社会主義国家との接触をかなり持っている事を書いています。また、それだけではなく、アメリカにも当時承認していなかった中国共産党を認めさせるという事も書いています。


このような行動に辻政信が出たと考えられるのは、反共でもあると同時に反米でもあるため、まずは社会主義国に接近し、アメリカの影響を弱めさせようと考えていたからではないかと思われます。これは「日本で日本人を守るようにしたい」という文章に代表される様に米軍を日本から撤収させようとしていた事やこの選挙公報にも書いてあるように(派閥の方針もあった可能性もありますが)エジプトのナセルやユーゴスラビアのチトーと会談しており、米ソどちらにも属さない非同盟諸国との接触を深めていた事からも予想されます。

なお、この石川1区の選挙ですが、面白い事に55年体制後の選挙であったため、合併前の自由党民主党の調整がうまく行かなかったのか、石川1区の定数3に対して、自民党が4人候補者を立てるというような状態になっていました。このため、かなり混戦状態になっていたものの、辻政信はぎりぎり3位で当選しています。

さて、この後の辻政信ですが、とてつもない道を歩みます。反共親米派岸信介と激しく対立し、様々な発言をした結果、1959年に自民党を除名されますが、直後の参院選に全国区で立候補し、3位で当選します。そして、1961年に議員在籍中に東南アジアに行った途中、内戦中のラオス共産主義勢力のパテート・ラーオの占領地域に入ろうとしたものの、通行手形が得られなかった事から僧侶に変装し、寺院のつてを使って潜入しようとして、そのまま行方不明になるという、現職議員の失踪という前代未聞の状況になりました。死亡説以外にも、よその国で何かしているという説も流れ、議会内でも一体、辻政信がどうなってしまったのかの議論が起こりましたが*4、結局、辻政信は世間に再び姿を現す事はありませんでした。(2016年4月15日追記: この失踪事件に関して選挙ドットコムさんに記事を寄稿しました。詳細は以下の記事を参照してください。)

actin.hatenablog.com

戦中の様々な行動から話題になる事の多い、辻政信ですが、今後、辻政信の石川1区時代の選挙公報を入手したら、また紹介してみようと思います*5

*1:1回目は無所属、2回目は日本民主党所属

*2:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Tuji_Masanobu.jpg

*3:なお、この石橋派には宇都宮徳馬が所属していました

*4:http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/040/0096/04005040096021c.html

*5:1959年の参議院全国区の選挙公報は比較的入手が容易ですが、それ以外の選挙公報は非常に入手が困難であったりします