Experiments of Actin

『インディーズ候補』(泡沫候補)の特徴的な選挙活動を中心に少し変わった選挙、政治関係の話題を取り上げているブログです。

根上隆の選挙公報(2014年東京都知事選、1986年中野区長選)

今更で申し訳ございませんが、今回は2014年2月9日に投票が行われた東京都知事選に立候補した根上隆を紹介します。

さて、根上隆の経歴ですが、最近活動を始めた候補ではありません。1980年代から主権在民党という党を立ち上げ、参議院選や中野区長、中野区議選に立候補するなど活動をしています。この活動前には中野区の職員をやっていたようで、中野区関連の選挙に出るのはこのような事も理由かと思われます。

また、根上隆ですが、色々と逮捕歴があるようで、本人はいずれもでっちあげで逮捕されていると主張しています。この逮捕歴の1つとして2013年4月に築地市場でマグロ包丁を振り回した事件があり、何と、この事件の顛末が撮影されており、YouTubeにアップされていたりします(動画のタイトルがCrazy guyというのが何とも言えないと思います)。

このような色々とすごい根上隆ですが、選挙公報を下に示します。

いきなり、「職業(革命家)」という文字にやられます。事前の逮捕等の知識が無い人でもこの時点でただ者ではない事が分かります。このようなインパクトのある職業紹介の次の行を読むと、因縁の地である築地市場の移転反対に言及しています。さらに文章を読み進めてみると、何とこの築地市場での(根上隆視点からの)マグロ包丁振り回し事件の顛末が記されています。根上隆によると、東京都議選に立候補しようと思っており、築地市場豊洲移転反対の話を市場まで行って話していたそうですが、刑事に尾行されており、不当な暴行にやむを得ず、近くにあったマグロ包丁を持って、威嚇しながら逃亡していたとの事です。その後、精神鑑定を受ける羽目になり、予定していた都議選の立候補はできず、次に立候補しようとしていた参議院選は精神病院の強制入院を食らって立候補できなかった、というかなり壮絶な事項が記されています。そして、この後に弁護士に猪瀬都知事等へ対する訴訟提起を依頼していますが、何故か警察は全て許そうと思っているという事を記しています。

このように自分がいかに立候補できないか、と言及した後、都政に大事なのは政策論議では無く、利権政治に与する議員を一掃する事、都知事になったら議会を解散する、という革命家的なすごい主張をしています。最後に自分のウェブページのアドレスを掲載していますが、ここで「ホームペイジ」と書いてあるのが何とも言えない所です。

また、政見放送の動画がYouTubeにありましたので、以下に示します。

このプロフィールによると区長や議会選といった一般的な選挙だけではなく、中野区の教育委員にも立候補していた*1事や「グローバル通商」なる会社の代表である事が判明します。また、根上隆本人ですが、アクセサリをつけるなど結構ファッションにはこだわっている様子もうかがえます。そして、この政見放送の最もすごい所としては、時間計算を見誤ったのか、自分が殺されるかもしれないという、かなりクライマックスな発言をしている時に突如、時間切れになり、放送が終わるという何とも言えない所だと思います*2

このような選挙活動を行った根上隆ですが、得票数1,904票(得票率0.039%)で順位は16人中15位でビリは免れる事ができたものの、無効票61,000票に遙かに届かない惨敗と言う結果に終わってしまいました*3

さて、以前、2014年の東京都知事選に立候補した姫治けんじを紹介し、この記事で2/10にロフトプラスワンで行われた「時事ネタプラスワン!〜炎の都知事選スペシャル」という都知事選の候補者が出演したトークショーがある事を説明しましたが、このトークショーに根上隆も登場しました。

この時、根上隆はドクター中松と共演し、様々な話をしましたが、ここで根上隆は過去の選挙について語りだし、何と、あの1960-90年代に各種の選挙に出まくったインディーズ候補界では有名な高田がんの話をし始めました*4。この時代になって高田がんの話を聞けるとは思いませんでしたが、根上隆によると1986年の中野区長選に立候補した際に高田がんも立候補しており、驚くべき事にこの時に高田がんの一党に暴行を受けたと根上隆が主張し、この事をどこも報道してくれなかった的な発言をしました。下にこの時の根上隆と高田がんの選挙公報を示します。36歳でもあり根上隆の若々しさが感じられることや「新日本天誅社」なる政治団体の会長である事が記されています。また、高田がんは略歴で国政、知事選、主要都市の区市長選に65回立候補している事が記されています。

さて、トークショーの話題に戻りますが、ドクター中松の持ち時間が長かったせいか、根上隆の話したかった事が多すぎたせいか、根上隆がエキサイトしまくったせいか、あるいはそれらの複合なのかは分かりませんが、時間切れになっても延々と話し続けてしまい途中で候補者ではない出演者の1人が怒って帰ってしまうというトラブルが発生するなど非常にすさまじい展開になりました。

このように強烈なインパクトを与えた根上隆ですが、都知事選の後も根上隆の動きは収まる事が無かったのです。少し長くなりましたので、都知事選以降の根上隆の活動については別記事に続きます。

*1:中野区教育委員は1981-1993年の間は条例により準公選制が採用されていた

*2:後述するトークショーの中でこの件について言及しており、政見放送は何回か撮る事ができ、最後に撮影した物を流すというルールらしく、テイク1は時間内に収まったものの、最終テイクで時間内に収める事に失敗し、あのようなものになったようです

*3:http://www.senkyo.metro.tokyo.jp/h26chijisokuho/

*4:ただ、高田がんは選挙妨害や選挙葉書横流し等の政治ゴロ的行為で有名な肥後亨の後継者であり、色々と黒い話が満載の人物で、一般的なインディーズ候補とは明らかに異なります。とはいえ、本気で当選を考えていた節があり、一筋縄ではいない人物です。