Experiments of Actin

『インディーズ候補』(泡沫候補)の特徴的な選挙活動を中心に少し変わった選挙、政治関係の話題を取り上げているブログです。

備中高梁に行ってきた(その1)

相当前の話ですが、夏の18きっぷが余りましたので、備中高梁に行っていたりしました。

この備中高梁ですが、今まで何回か行こうとしていたものの、東日本大震災があって、実家に帰ったとか、前回のように台風に遭遇して、備中高梁にたどり着くことすらできず、岡山で足止めされ、列車ホテルで一晩過ごした、という地であったりします。

今回も結構な雨が降るなどと言われていましたが、結論から言うと、特に雨なども降らずに、無事に備中高梁に到着です。
さて、今回の備中高梁の目的は備中松山城という、山の上にあるお城なのですが、この城、現存天守というカテゴリに入る城で江戸時代に建てた天守が今でも残っているという城でもあります。

ただ、最初はそこに向かわず、吹屋という高梁の外れにある地区に行きました。この吹屋という地区はかなり山の中にあるのですが、江戸時代から銅山が稼働していて、鉱山街として発展したという経緯があります。さらに、この銅山では緑礬(硫化鉄)が副産物として生じたため、この硫化鉄に熱をかけて、酸化鉄として、ベンガラを生産し、銅だけではなく、ベンガラでも多大な利益を得ていた地区でもあります。

この吹屋地区はベンガラ関連で儲けた旧家があったり、石州瓦という赤色の瓦の街並みが整備されている地区なのですが、公共交通機関利用ではかなり行きづらい場所にあります。吹屋地区に行くにはバスを利用しなくてはいけないのですが、このバス、備北バスの公式ページの時刻表を見てもらえば分かるように1日に3往復しかない*1というなかなか、行きづらい所にあります。今回、ちょうど備中高梁に到着した時間が最初のバスの発車時刻に近かったため、まずは吹屋、という事に相成りました。

さて、このバスですが、時刻表を見れば分かるように1時間近く乗る必要があります。このバスは市街地を抜けた後、様々な集落を経由しつつ、曲がりくねった所々狭い山道を中心に走っていきます。なかなか、面白い風景が続いた後、山の中に突如、下の写真のような、明るくにぎやかで、前述したような石州瓦の赤色が目立つ集落に入り、ここが観光地であり、終点である吹屋に着いた事が分かりました。

吹屋の町並は予想以上に大きい集落ですが、この町並ではベンガラ製造販売をしていた旧家などが見所のようで、一部の家は中に入ることが出来て史料館みたいな感じになっています。また、ちょっと集落の外れには2012年に廃校になった吹屋小学校の建物があります。下の写真に示したこの校舎は吹屋が栄えていた時期に建設されたもので、何と築100年以上、廃校となった2012年まで普通に校舎として使用されていたという、なかなかすごい経歴を持つ建物であったりします。

そして、この吹屋地区の集落とはかなり離れた所に八つ墓村のロケに使われた昔の庄屋の家と鉱山跡、また、ベンガラの製造工程を紹介したベンガラ館という施設があります。地図上では相当な距離があり、定期的な公共交通機関がありませんが、幸いにも夏と冬以外の土日休は下のような色々なポイントを巡回するボンネットバスが運行しており、これに乗車して、まず、広兼邸という昔の庄屋の家に向かいます。

最初に広兼邸を選んだ理由ですが、広兼邸の途中にある鉱山跡やベンガラ館のこの2つの施設は集落からは多少歩くものの、歩けない距離ではありません。一方、この鉱山跡やベンガラ館の先に広兼邸がありますが、その距離は相当な距離があり、また、起伏が激しく、これは車でないとかなりきついな、と思われる場所にあったりするのです。ちなみに余談ですが、この時のボンネットバスの乗客は私1人だけでした。

という事で広兼邸に到着です。山の中でも高台の所にあり、下から見ると、ちょっとした要塞のようにも見えます。中はいわゆる古い田舎のお金持ちの家、という感じですが、高台の端にあるため、眺めが非常に良い家です。

さて、この広兼邸を見終わるのにさほど時間はかかりませんが、このボンネットバスは上記リンクにある時刻表を見ると分かるように広兼邸到着後5分で出発してしまい、その次のバスは1時間後という、結構問題のあるダイヤだったりします*2。幸いにも、この広兼邸のバス停近辺にはみやげ物店兼軽食屋がありますので、そこで昼食を食べながら、時間を潰します。そして、1時間前と車両も運転手さんも車掌さんも全く同じボンネットバスに乗って、広兼邸を後にします。

帰りが行きと違うのは、吹屋の中心で降りるのではなく、広兼邸の次のバス停である笹畝坑道で降りた事です。ここはバス停の名前からも分かるように銅山の坑道で、復元整備され、中に入る事ができたりします。そして、受付にあるヘルメットを装備して、入ってみますと、この日はなかなか気温が高かったにも関わらず、中はちょっと肌寒く感じる位の涼しさであり、また、水が出ているせいか湿度が高く、坑道である事を感じさせます。

入口からしばらくは狭い道を進みますが、突然広い場所に出ます。誰もいない中、奇妙な音がするので、その音源に耳をやると、こういう観光地名物の変にリアルな人形が動いていました。普通の場所ならともかく、暗い閉鎖空間の中で突然遭遇した時はびっくりした事は付記しておきます。

この人形の寂れ具合と服装のぼろぼろさを見ながら、旧家の栄華の輝きもこのような人々から搾取した所から成り立っていて、あの輝きは怨嗟の輝きなのだ、というようなコミュニスト的考えを一瞬浮かべつつ、さらに奥に進みます。この日は秋の割には結構暑い日であったので、坑道内の涼しさに感謝しつつ、かなり奥に進みますと、行き止まりにぶつかりました。そして、その行き止まりにはこんな場所が。

地元の酒造会社が坑道での長期熟成酒という物を作っているらしく、そこの貯蔵庫になっていました。これは美味しそうだな、と思いながらも、鍵がかかっているので、どうしようにも無く、そのまま、元来た道を引き返し、出口用の狭い坑道を通過し、外に出ました。

坑道から地上に出て、しばらく歩くと、ベンガラ館に到着です。ここはベンガラの製造過程を紹介する施設です。ベンガラ製造用の器具が展示されており、順路通りに見ると、ベンガラの製造過程が分かると言うものでした。これに関しては写真を撮影していなかったので、写真は省略です。

ベンガラ館を出て、それなりに歩くと吹屋の町並に戻る事ができます。そして、備中高梁駅行きのバスに乗り、再び、同じルートで備中高梁駅に戻り、その日の宿に入りました。ちなみにこの下の写真は備中高梁市街を歩いていた際に発見した物です。

1枚目はクリーニング屋さん兼コインランドリーの看板メイドさんですが、何か、良いショートな感じだし、何故だかこれは撮影しないと、という衝動に駆られたものです。もう1枚はあの一部で有名な自衛隊リクルートマンガ「ジエイのお仕事」を使った自衛隊の募集ポスターです。「ジエイのお仕事」は岡山の自衛隊地方協力本部のキャラクターなので、これ見た時に備中高梁は考えてみれば、岡山だったな、と気が付かせてくれたりしました。

さて、吹屋編が長くなってしまったので、お城絡みは次回に続きます。

*1:平日は吹屋発は4本ありますが、その日は休日でしたし、行った時間帯的には関係ない時間発です

*2:なお、広兼邸以外には徒歩範囲の周辺に特に観光ポイントがありません