Experiments of Actin

『インディーズ候補』(泡沫候補)の特徴的な選挙活動を中心に少し変わった選挙、政治関係の話題を取り上げているブログです。

選挙ドットコムさんに寄稿しました(テーマ: 青ヶ島村の参政権について)

選挙情報サイトの選挙ドットコムさんに以下の記事を寄稿しました。

go2senkyo.com

今回は1945年から1956年まで公職選挙法(1950年の公職選挙法制定時までは衆議院議員選挙法と参議院議員選挙法)により、国政と都政の選挙権がなかった青ヶ島村の話です。

記事中でも説明しましたが、公職選挙法 第8条では「交通至難の島その他の地において、この法律の規定を適用し難い事項については、政令で特別の定をすることができる。」と規定されており、それに基づいて、政令青ヶ島村では国政と都政の選挙を当分の間、行わないと規定しました(下図は1950年4月20日の官報に掲載された公職選挙法施行令第147条)。なお、現在も第8条は有効であることから極端な話、国会の承認を経ない閣議の決定で特定の地域に限り、選挙の実施をしないということは実はまだ可能であったりします。

また、青ヶ島学術調査団の話ですが、青ヶ島は極端に外部との接触が少なかったため、この学術調査団が来島するまで、謎の島扱いされていました。そのため、青ヶ島は「こういう島らしい」という伝聞形式でしか、情報がほとんどなく、その内容も「村は麦まきに至るまで20人の巫女に支配されている」とか「食器を使う文化が無く、アメリカ軍が進駐してきた際に栓抜きを島民が知らなかった事に驚いた」とか「近親婚が多いらしい」とか、そういう感じの秘境の謎の島扱いを受けていました。このような扱いであったことを物語るものとして、学術調査団は当初、全島民の裸の写真を撮影しようと計画していたという話があります(さすがに島民の反発を招くとして中止したようです)。

ちなみにこの学術調査団は記事中でも述べたように選挙の実施を早急にすべきと報告した他、巫女の影響力はかなり弱まっているが、巫女本人に対して敬った言い方で呼ばず、苗字を呼ぶと、ものすごく怒ることや近親婚は少なかったことなどが報告されています。

そして、記事中でも言及した青ヶ島村の戦前の参政権に関する状況についても補足します。当時の法令でも交通至難の地域は選挙を制限できることになっており、いくつかの地域が指定されていましたが、何故か青ヶ島はこの指定から外されていたことが分かっています。ただし、青ヶ島は島内に投票所が設けられておらず、投票するためには八丈島に行かないといけなかったようです。1936年2月6日の朝日新聞の記事によると、有権者が75人いるものの、以前の選挙では海が荒れていたため、たまたま八丈島にいた1人しか投票できなかったことが記されています。1940年の東京府議会選では初めて島内に投票所が設けられたようですが、それ以降の1945年までの間に東京都で執行された選挙がどのような状況であったかは今回の調査では不明でした。

なお、今回の記事および補足情報の参考文献情報は以下の通りです。

・是でも東京 立会人は”名主様” 投票運搬係に決死隊出動 俗離れ・孤島の選擧, 東京朝日新聞 1936-02-06 朝刊, 11.
青ヶ島”初の投票”府議戦の走り, 東京朝日新聞 1940-06-08 夕刊, 2.
・選挙法施行令同施行規則 きのふ公布施行, 朝日新聞 1945-12-18 朝刊, 1.
・選挙権の使えぬ村 都下青ヶ島無電に聽く あたら二百余票 荒ぶ風浪、税金は完納, 読売新聞 1952-09-20 朝刊, 3.
・”必需品なし船たのむ”青ヶ島から本社へSOS, 朝日新聞 1954-03-17 東京朝刊, 8.
・秘境青ヶ島へ都から調査団 生きている”平安朝” 20人のミコが麦まきまで支配, 読売新聞 1954-10-24 朝刊, 7.
・調査に四つのタブー 食器も使わぬ未開の”都民”百二世帯 青ヶ島探検隊きょう出発, 読売新聞 1954-11-01 朝刊, 7.
・近親結婚の島 青ケ島(都下)へ調査団 遺伝の関係を主に 風土病と栄養など 種々のナゾを解明 きょう出発, 毎日新聞 1954-11-01 朝刊, 7.
青ヶ島の学術調査始まる てんやわんやの島の話題 全村民が協力して 子供も久しぶりに入浴, 朝日新聞 1954-11-06 夕刊, 3.
・娘のいない青ヶ島 あす調査終了 第二の無着先生出現 黒潮の子らに新風 ミコもタビ小屋も嫌いに, 読売新聞 1954-11-08 夕刊, 3.
・半数が血液A型 味覚のない住民もいる青ヶ島, 読売新聞 1954-11-12 朝刊, 7.
・案外少い近親結婚 青ヶ島学術調査団帰る, 朝日新聞 1954-11-21 夕刊, 3.
・東京都 鬼ヶ島 村尾特派員 青ヶ島ルポ 下, 読売新聞 1954-11-23 朝刊, 7.
青ヶ島からSOS 食料や石油が欠乏 旧冬以来の大シケで, 朝日新聞 1955-02-01 東京朝刊, 8.
青ヶ島にも選挙権を 交通不便ゆえに除外される, 朝日新聞 1955-03-03 朝刊, 7.
・初めて選挙ができる青ヶ島 超短波を取付け 六月の参院選までに?, 朝日新聞 1956-01-13 朝刊, 7.
青ヶ島 初の参院選公職選挙法改正本決り 電話のおかげで, 朝日新聞 1956-06-06 朝刊, 11.
・座談会も超満員 青ヶ島あげて”選挙熱”, 朝日新聞 1956-06-21 朝刊, 7.
青ヶ島の初投票は好調 まごつく晴着の住民 島をゆする感激のサイレン, 読売新聞 1956-07-08 夕刊, 3.
・小林亥一, 青ケ島島史, 青ケ島村, 1980.
・榎澤幸広, 公職選挙法8条への系譜と問題点 : 青ヶ島の事例をきっかけとして, 名古屋学院大学論集 社会科学篇, 2011, 47(3), 119.