Experiments of Actin

『インディーズ候補』(泡沫候補)の特徴的な選挙活動を中心に少し変わった選挙、政治関係の話題を取り上げているブログです。

越前地方に行ってきた1(越前大野編)

年末に実家のある東京方面に帰る際*118きっぷで寄り道して越前地方に行ってきたのですが、今回はその際の話でも。

さて、18きっぷという事で各駅停車で現在の居住地である三重から名古屋、米原近江塩津敦賀という東京帰るとは思えないような遠回りをしつつ、今回の目的地の1つである越前大野に行くために北陸本線から多少ずれて、越前花堂という駅で越美北線(愛称:九頭竜線)という本数がものすごく少ない列車に乗り換えです。ちなみにこの越前花堂の乗り換えですが、越美北線はホームが少し離れたところにあって、越美北線から本線ホームを望むとこんな感じです。

この越美北線と本線のホームの間には枯れたツタがからんだタンクらしき物があり、これが連絡通路ぎりぎりに配置されており、乗り換え移動中に何か圧倒される不思議な感じになりました。これはどうも古い工場を壊していたようで、動いてはいなかったものの重機が工場を破壊している最中でした。

さて、そんなこんなでいかにもローカル線というような感じの越美北線越前大野に到着です。今回の目標は越前大野という織田信長の家臣である金森長近が築城した城です。という事で越前大野駅から越前大野城まで徒歩で移動です。この越前大野城は小高い丘にあるので、まず登り口まで行く事になるのですが、越前大野駅出て国道を右側に進み、道なりに進みます。結構距離はありますが、多少ふらふら迷ったりして、歩いて30分位という所です*2。さて、南登り口に着いて、これから登ろうか、と思っていますと、猫が寄ってきました。

この猫、人にかなり慣れているらしく、足元に寄ってきたりするので、思わず撮影したりしましたが、この猫を撮影している最中に思わぬ看板が。

はい。北陸方面の平山城とかちょっと丘っぽい所にある城は冬の間はやってなかったりするんですよね……。ただ、城の中の博物館に入れないだけで、丘を登って城の周りには行けるようなので、一応、進軍です。

この越前大野城はかなり急坂なのですが、特に「百間坂」という江戸時代当時の登城口は歩道としてあまり整備されておらず、非常に急で、かつ雪も多少あったため、思いのほか疲れた事を付記しておきます。ただ、当時を体験したいのであれば、ここは外せないと思います。そして、人の姿も全く見えないなど気になる事もありながら、そんなこんなで天守に到着しました。結構小高い丘でなかなか良い景色です。


天守部分と雪が良い感じに相まってきれいですが、その雪のせいで中の博物館(とトイレ)が冬季閉鎖、という事を考えると複雑になります。それと、いくら冬とは言え、遊歩道部分は普通に整備されているにもかかわらず、人の姿が見えない事にも気になります。ちなみにこの天守は復元されたもので、史実に沿ったものでもないようですが、この石垣は当時のものです。

この石垣は野面積みというやり方で、取ってきた石をそのまま、あるいは僅かな加工だけで石垣に用いる方法です。非常に荒々しい感じですが、この方法は排水能力に優れる、という特徴があったりします。この越前大野城の野面積みの石垣は素朴かつワイルドでなかなか個人的には昔の石垣、という感じで、好きな感じです。

上の写真は築城者の金森長近の銅像。かなりの高さに驚きますが、台座の上に載っている金森長近像が背の低めのおじいちゃん、という感じで何か良い物を感じました。

さて、越前大野城から降りて、登り口付近にある裁判所のある交差点を南方面に行き、次の目的地の朝倉義景の墓に向かいます。この越前大野は名水の地のようで、大体、交差点から5分くらい歩いた途中に「御清水(おしょうず)」という名水百選に選ばれた湧水がありました。ここは地元民に使われているようで洗濯場と野菜洗い場が存在していました*3

そして、「御清水」からさらに5分位歩くと、公園のような場所があり、朝倉義景の墓がありました。朝倉義景というと、越前一乗谷に本拠を構え、織田信長に敵対した大名で、どちらかと言うと無能な描かれ方をされている感じの大名です。この朝倉義景は信長に敗れ、越前大野を統治していた従弟の朝倉景鏡に誘われて、再起を図るため一乗谷から越前大野まで逃げてきたのですが、いざ越前大野に入ったら、景鏡に裏切られて自害、という終わり方をしました。という事で越前大野朝倉義景の墓があったりするのです*4。なお、この墓ですが、義景以外にも義景と共に戦い自害した近侍の鳥居景近高橋景業、義景死後に殺された母親の高徳院、側室の小少将、息子の愛王丸の墓もあります。

ちなみにこの朝倉義景の墓のある所は義景公園と言うらしいのですが、この義景公園の近辺に義景保育園と言う名前の保育園がありました。色々と考えると、公園名は墓のために公園が作られたようなので、ともかくとして、保育園にちょっとこの名前はどうかなぁ…、と個人的に思ったことは付記しておきます。

その後、市立博物館行ったりした後に越前大野を発って、その日の宿である福井駅に行ったのですが、行きは越美本線なのに対して、帰りはバスで福井駅に向かいました。これは越美北線の福井行きが1日9本しかないのに対して、福井行きのバスは1時間に1本以上程度の割合で走っており、使い勝手が越美北線に比べると良い、という事情があったりします。

とりあえず、越前大野編はこれで終了で、次回(一乗谷編)に続きます。なお、下の写真は福井の宿でのお酒飲み風景。越前地方は冬が水ようかんのシーズンらしく、冬季限定水ようかん、というのがいくつか見られました*5

*1:当然、冬コミ参加も東京方面に行く目的ですが

*2:迷ったり寄り道したりしなければ20分位で行けると思います。また、登り口への案内板がいくつかあるので普通ならば余り迷わないと思います

*3:当然ですが、水が湧いている所から下流方面に野菜洗い場、洗濯場という感じで配置されていました

*4:ちなみに一乗谷にも朝倉義景の墓はあったりします

*5:写真の水ようかんは福井の物ですが、越前大野にも丁稚ようかんという水ようかんがあるらしいです。